神様はいつも見ている、あなたに寄り添っている

神様はいつも見ている
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古いブログを整理してたら

まだ私は看護師で

そして子どもの心の病棟で勤務していた時代のものが出てきました。

今でも覚えている

とても美しい女の子と

色々なお話をした日の夜に書いたものでした。

個人は全く特定されるようなことは書いてはないのだけど

その女の子が心を開いてお話をしてくれて

そして涙しているのを見て

どんな状況でも必死で生きていくことは素晴らしいよなぁと、しみじみ思ったことを書いてました。

そして

もっと身軽になれたらいいのになぁとも思っていたことも書いてました。

目次

今、振り返ると

実は私は、あの頃の自分のブログが嫌いなのです。

自分の嫌な面ばかり見えます。

表面上は明るくしていたけど

心の奥底は本当に

どうして誰も私のことをわかってくれないんだろう

そんな風にいつも思っていたのが伝わるからです。

そして

そんな風に

「誰も私のことをわかってくれない」という気持ちを

認めてはいけないと思い込んでいて

認めたら、そこから立ち直れないような気がして

肩に力が入ってもがいていたんだと思います。

いつもいつも

自分はどこにも属さずにいて

何かが中途半端で

漠然と自分が心底落ち着く場所ってないのかもしれない

そんなことを無意識に思っていたような気もします。

あの頃の自分は

まだ

「ネガティブなことを思ってはいけない」という固定概念があって

いわゆるポジティブ病だったような気もします。

もがく時もあるよね

幼少期から自分に心の居場所がないと思っていた

私は、本当に不思議なことに

幼少期から、なんだか居場所がなく

何かが違う、何かが違うともがいてました。

今、考えると

魂は宇宙人だは

中途半端に色々なことは覚えているはで、もがくのは当たり前なんだけど

それを誰も説明してくれませんでした。

まだ精神世界という言葉すらなかった時代だったから当たり前だと思うのです。

もがいて、もがいて

でも何かを表現したくて

芸術系の専門の短大から専攻科まで進んだりして

それなりに楽しかったり充実したり夢が叶ったけど

最後の最後に私が行き着いたのは

どうして人は病む時もあれば

ギリギリの状態で引き上げられたりするのだろう?。

そして、そういう時の心の中はどうなっているのだろう?。

その原理や理由を知りたいし、学びたいということでした。

そう思った時は、自分は見えたり聞こえたりするという自覚もすでにあって

シャーリーマクレーンの「アウト・オン・ア・リム」が日本に入ってきたばかりで

ちょうどスピリチュアル第一次ブームの時でした。

ようやく自分に魂や見えない世界の説明をしてくれる人が現れたと思ったりしたけれど

実は、そんなにうまくはいかず

スピリチュアルだけに傾倒すると本当によくないんだなということを学んだ方が強かった気がします。

それはそれで必然だったんだろうけど

でも

ふわふわした言葉ではなく

ちゃんと

今の現実の世の中で理屈として語られている心の動きと

見えない世界の役割がどう重なっているのかを追求したいと本当に思った。

だから誰もが賛成はしなかったけど

誰の言うことも聞かずに医療の道に突入しました。

それは無意識に魂の声を聞いていたからこそ行動できたんだと思う。

それでも左脳と魂の声はズレることがあるから

時折もがいていては不安になったり

本当に大丈夫かな?と思ったりもした。

でも見えない世界の存在たちはいつもそばにいて

私の背中を押してくれたり、癒してくれたりしたんだと思う。

だから、看護師になることを決心してからも

とても、とても時間がかかって

医療業界は私が思っていたのとはまるで違って

才能とか、やる気とか、そういうのの前に

「国家資格」が必要なことを体感し

無資格のまま医療現場にいても何もならないと思い

なんだか准看護師の学校に行くことにして

そのまま正看護師の免許が取れる学校に進んで

よくよく考えると、本当に時間がかかったなと思います。

そうやって人は導かれていくんだとも思うのです。

あなたは守られている

だから、誰もが本当は大丈夫

人はね

時々、迷子になったり

目の前の青い鳥に気がつかなかったりするの。

もったいないなぁと思うことも多々あるけれど

最近は、そうじゃなく

どんな状況でも

神様は、あなたの良いところ、美しいところを見てごらんと言っているんだと思う。

苦しくて、苦しくて

どうしようもない時は

きっと

本当の自分の良さを魂が「見つけてよ!!」って

そう言っているんだと思う。

苦しくて苦しくてどうしようもない時は

きっと大きなステップの前なんだと思う。

だから本当は誰もが大丈夫。

神様に誰もが愛されている

もがいて苦しんでいることを神様は見ている

最初の話に戻るけど

とても美しい女の子が私の目の前で心を開いてくれて

ポロポロと泣く姿を見て

あの頃の私は

「頑張っているなぁ」と思い

さらには「もう少し気楽に生きられたらいいね」とも思ってました。

でも

最近、私がよく思うのは

悲しい時は泣いてもいいし

もがいてもいいし

無理をしなくてもいい。

無理をしたいモードに突入したら

イノシシみたいに人も突進するだろうし

踏ん張る力がでるんだと思う。

でも、そういう力がでない時は

そういう時、なんだと思う。

自分を褒めることもできずに

何かに圧迫されそうな時もあると思う。

でも大丈夫。

神様はちゃんと見てる。

神様は見守っている。

神様を信じられないと思って大丈夫。

それでも神様は怒らないから。

そんなことを思い出した夜でした。

神様はいつも見ている

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